【連載】熟れすぎMANGO VOL.134

2017/10/24

ちはるの老眼鏡!?「ノンフィクション人生」

自己れんびんびん

 二日酔い朝、重たいまぶたを頑固なシジミくらい開き、スマホに手を伸ばす。息子からのメッセージが数件。昨夜も一緒に飲んでいたはずだけど、どうしたっけ?

 息子はこの夏で23歳。うちから10分ほどのアパートで友人とシェアして暮らしている。親に似て酒好きで話し好き。成人してからはすっかり飲み仲間だ。「オカン、ストレス溜まってるのかなー?って思った。あんまり溜めこまないようにねー」そんなメッセージと共にチャラいスタンプが連投されている。ふふん。生意気言っちゃって。人の心配する前に自分の心配しやがれってんだ! そう思いつつも、鼻の奥がツーンとした。やっぱり親子。微妙な気持ちの変化も気づいてくれるんだねぇ。

 私はあまり自分の悩み事を人には話さない。悩んでいる時に話しても、解決策がぶれてしまったり、人づてに話がふくらんで余計に厄介になってしまうことも少なくないからだ。いっこうに前向きにならない悩み相談を受けるのも得意じゃない。私はこんなに一生懸命頑張ってきて、なのにいつも裏切られて、想像もできないひどい仕打ちにとても傷ついている。大まかにはこんな内容を事細かに聞かされても、逆にかたよった考えを押し付けられている気がしてウンザリしてしまうのだ。

 自己憐憫。聞きなれないこの言葉を強烈にインプットされたことがあった。まだ私が20代の頃、子育てにバラエティの仕事にと忙殺され、せっかくいただいたドラマの台詞をろくに覚えずに現場に行ったことがある。そんな私を見かねたプロデューサーに別室へと呼ばれた。叱られると思った私は、助言もろくに聞かず、自分が置かれた辛い状況を必死で訴えた。「自己憐憫だね」私の長すぎる言い訳を遮るように、がっかりした顔でつぶやかれた。私のキョトン顔を見て「じこれんびん」とゆっくり重く言い直し、「分からなければ調べな」と出て行かれた。この時ほど、自分という人間が未熟で情けないと感じたことはない。そして、この言葉を身に染みるように教えてくれた人生の先輩に心から感謝している。

 じこれんびん【自己憐憫】自分で自分をかわいそうだと思うこと。自分に対して憐憫の情を抱く事。

 自分の置かれた状況を不幸だと嘆いて不満やうっぷんを巻き散らかす。おまけに自己憐憫は、気づかずにいるとウイルスのように連鎖して強くなり、次から次へと新型の不幸を招き入れてしまうから厄介だ。「自己憐憫はしない」と息子に返信した。きっと「はあ?」という返信がじきに届くだろう。カーテンを開けて、大きく背伸びをした。

文/ちはる

ちはる/テレビ、CF、著書の企画などで活躍中。12年、14歳年下の旦那くんと再婚。目黒でカフェ「チャム・アパートメント」を経営。

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