なでしこジャパン鮫島彩さんインタビュー「私がこれからもサッカーを続ける理由」

2020/01/04

ラグビーワールドカップで日本中が大きな盛り上がりを見せた2019年。2020年はいよいよ東京オリンピックが開催されます。そんな夢の大舞台でたくさんの夢や希望を与えてくれる選手たち。今回は、サッカー「なでしこジャパン」のメンバーとして活躍している鮫島彩さんが、これからの時代を担う未来の主役たちへメッセージを贈ります。

<鮫島彩さんプロフィール>
1987年6月、栃木県河内町(現宇都宮市)生まれ。常盤木学園高校を卒業後、TEPCOマリーゼ入り。海外移籍を経て2012年からベガルタ仙台、2015年からINAC神戸でプレー。163㎝、53㎏。右利き。

楽しさがすべての原動力。

鮫島彩選手は主に「サイドバック(SB)」といわれるポジションを担っています。SBはだれよりも献身的にピッチをアップダウンして攻守両面に貢献するポジション。

「走るのは正直、嫌いです。同じ役割の長友佑都(ガラタサライ)さんはホントよく走られてますよね。私はサボるのが得意なんで」と苦笑するものの、献身的な走りがなければチームは成り立ちません。なでしこジャパンが2011年女子W杯優勝、2012年ロンドン五輪と2015年女子W杯で準優勝という快挙を達成したのも、彼女抜きには語れないでしょう。

「大きな国際大会で3回も決勝に行けたのは奇跡的なこと。日本女子サッカーを支えた人々の努力があってこそだと思います。当時のチームはアメリカやドイツなど過去に1勝もしたことのない相手でも『勝てるんだ』という自信とピリッとした空気があった。それを若い世代に伝えていけたらうれしいですね」

母が根づかせてくれた 「自己責任」で30代まで続けたサッカー

世界一を経験している鮫島さんがサッカーにのめりこんだのは、栃木県の河内SCに入った小学1年生のとき。お父さまはクラブの事務作業を担うほど協力的で、お母さまも看護師の仕事をしながら食事や洗濯などのサポートを最大限してくれたそうです。

「河内SC時代は両親につきっきりで助けてもらいました。父はあまり多くを語る人ではなかったけど、練習終わりの帰り道で甘い物を買ってくれたり、さりげない気づかいがうれしかったですね。母は仕事柄テキパキと動くたくましい人。何か相談しても『自分でちゃんと決めなさい』と言われる。自己責任の重要性を私の中に根づかせてくれました。それはその後の人生に生きていますね」 

その後、アメリカやフランスでもプレーし、代表では2008年からの11年間で113試合(*2019年9月末現在)に出場。32歳の今も高みをめざし続けています。「やめたいときもあったけど、楽しいときの大きさが半端ない。それが自分にとってのサッカーです。まだ伸びしろがあると信じて、一日一日を大切にしながら頑張っていきます」

Her history

2人の兄がいる末っ子。負けず嫌いで河内SCの頃は同い年のライバルと「どっちが先にリフティングで1000回の壁を越えられるか」などと競い合っていた。尊敬するのは母。自分自身も高校時代は看護師を夢みたが、最終的にサッカー選手を選んだ。

参照:『サンキュ!』1月号「未来の主役たちへ Message」より。掲載している情報は19年11月現在のものです。撮影/六川則夫 取材・文/元川悦子 編集/サンキュ!編集部

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