【「給食番長」作者・よしながこうたくさん】"旅芸人"になった絵本作家。 身体を張って「子どもたちに恩返し」
2023/04/07
よしながこうたくさん
(43歳)/福岡県
profile
絵本作家。1979年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部在学中から作家活動を始める。デビュー作『給食番長』が大ヒットし絵本作家に。車中泊仕様に改造したバンで日本全国の図書館や小学校を回って行う読み聞かせとライブペインティングは今やライフワーク。現在は1人暮らしで好物は焼酎。
大ロングセラー絵本 『給食番長』の作者は、 絵本にも子どもにも無縁だった男子
絵の具をコテコテに塗り込むタッチと、躍動感ほとばしるキャラクター造形、映画のカメラワークさながらの画面構成……唯一無二の個性が光る絵本作家のよしながこうたくさん。元々は絵本作家志望ではなく、むしろ絵本から受ける道徳的なイメージが苦手だったといいます。
『給食番長』誕生のきっかけは、「絵本に全然興味がなさそうな人に描かせて、絵本の世界に新風を吹き込もう」という、立ち上がったばかりの出版社の気鋭の企画。そこで当時26歳のこうたくさんに白羽の矢が立ちます。「売れないイラストレーターで超絶貧しかったので、仕事欲しさに引き受けました」。参考にする絵本はないので、子どもの頃の自分が喜ぶであろう絵本にしようと「元気」「立体的」「細かいところに不思議な生き物がいる」ことにこだわり描き上げます。
発売当初は多くの大人が「絵が汚い」と眉をひそめる一方、子どもたちから支持が広がり大ヒット。以降、作風を貫いた絵本を相次いで発表し、現在は日本を代表する人気絵本作家の1人になりました。
シブシブ始めた読み聞かせが、仕事を超えたライフワークになった
出版社のリクエストで始めた読み聞かせ。こうたくさんは27歳でした。「最初は子どもとどう付き合っていいのかがわからなかったし、モテたい盛りでカッコつけてた年頃でした。だから読み聞かせなんて嫌で仕方なかったのですが、絵本で食っていくという腹が据わったら僕の内面が変わりました」
43歳になった今、こうたくさんが全身全霊でイベントに臨むのは、「子どもたちに食わせてもらっている恩返し」。アトリエを兼ねた車中泊仕様のバンを自ら運転し、子どもたちに会いに行く旅を続けています。
絵本作家は「描いて終わり」ではなく、 子どもを楽しませるところまでが役割
子どもに懐いてもらうには、「お兄さん」ではなく「おいちゃん」にならないとダメと気付き、モヒカンだった髪を丸ボウズにして「アンパンマンみたくしました」。衣装は暖房のない真冬の体育館でも半袖+はだしです。
脳と目から火を噴くくらい目配りしながら、子どもと全力で遊ぶ
イベントのハイライトはライブペインティング。子どもたちが描いた絵をベースに、リクエストされたパーツや生き物をこうたくさんが描き足し、新しい生命体を生み出します。古今亭志ん朝らの落語を聴き倒して磨いた話術で場を盛り上げながら絵筆を動かす一方、会場じゅうの子どもたちを隅々まで観察。取り残されている様子の子がいたら、すかさず話しかけます
『給食番長』発売当時は賛否真っ二つ
「絵の具が手に付きそうで気持ち悪い」「うちの子にはこんな汚い絵本は読ませない」「あなたみたいな作家はすぐ消える」……今でこそおなじみのタッチは発売当初、読者カードやネット書店のレビューで酷評されました。「でも子どもたちは僕の絵本を好きって言ってくれる。ならば、僕が子どもたちの絶対的な味方になって、大人たちが嫌がるようなものを出し続けてあげようと決心しました」。
絵本作家は、人の心のパーツをつくる仕事
『給食番長』発売から16年。3歳のときに読み聞かせてもらっていた子は来年20歳を迎えます。「小さいときに読んでました!と、イベントにわざわざ来てくれる若者が増えてきました。僕の絵本が人の心のパーツになっていることに気づき、絵本作家の大義はこれだと思いました」。
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撮影/久富健太郎(SPUTNIK) 取材・文/川上雅乃(サンキュ!編集部)