《サンキュ!読者モデル 山内藍さん》中国でのモデル経験も活かし、ママになってもパワフルに
2024/03/16
単身で中国に渡り、日系ファッション誌のモデルとして活躍した山内藍さん。学生時代はバレーボール一筋、ママになってもパワフルな自分でいたいといいます。今の夢は自分がデザインしたアイテムを作ること。お話をうかがいました。
<教えてくれた人>: サンキュ!アンバサダー 山内藍
大分県生まれ。夫、長女(5歳)の3人家族で、現在第2子を妊娠中。25歳のとき中国へ渡り、モデルとして活躍。現...
今までの私
略歴
高校時代まではバレーボール一筋!大学から始めたモデルの仕事を極めたくて、25歳で中国へ。北京から上海、香港と移り住みながら雑誌や広告で活躍。28歳のときにずっとお付き合いしていた現在の夫と結婚。不妊治療を経て、35歳で長女を出産。
単身で中国に渡り日系ファッション誌のモデルとして活躍
172cmと長身で、凛とした空気感が素敵な山内さんですが、お話を伺うとその涼やかな外見からは想像もつかないほど体育会系!「高校生のときはインターハイや国体、春の高校バレーに出場するなどバレーボールに打ち込んでいて、髪型も刈り上げ。だけど、心の中ではおしゃれすることに憧れがありました。大学生のときにご縁があり、モデル活動を始めたんですが、卒業後、もっとモデルの仕事を極めたいと思い、1人で中国に渡りました。当時の中国は日本の文化が流行っていたので、需要があるかなと思ったんです」。初めはなかなか仕事がなくて苦労したものの、少しずつ日系雑誌のモデル、CMタレント、女優と仕事の幅が広がりました。
28歳のとき、日本との遠距離恋愛だった今の夫と入籍。「当時、モデル業のほかに上海でiPhoneケースをデザインして日本に卸す事業も始めていたんですが、日本のセレクトショップに置いた商品を歌手の浜崎あゆみさんが買ってくださって、雑誌で紹介してくれたんです。そのおかげで商品が爆売れして、ますます仕事にのめり込みました」。
不妊治療を経て現在は、第2子を妊娠中
中国で目いっぱい活躍した山内さんは31歳のときに帰国。その後、不妊治療を開始して、34歳のとき体外受精で妊娠、35歳で第1子を出産しました。「長女が本当にかわいくて、どうしても2人目が欲しかったので、再び体外受精を決意しました」。途中、流産を経験したり、流産が原因による胎盤遺残で手術することになったりも。そんなつらい経験を乗り越えて、現在、念願の第2子を妊娠中です。「流産したときは落ち込みましたが、夫や娘が支えてくれたおかげで、立ち直ることができました」。
体を動かすことで上手に気分転換!
サンキュ!読者モデルに応募した理由は、ファッション以外にも色々なジャンルの撮影を経験できたり、親子で一緒にモデルができるから。「モデル仲間のみんなが素敵すぎて、もっと頑張らなきゃと気持ちが引き締まります。もともとスポーツ少女だったせいか、夫から『運動すると明るくなるよね』と言われるので、気分転換と体形維持のために友達と一緒にヨガをやっています」。食生活で気を付けているのは野菜をたくさんとること。「美味しいドレッシングを工夫してみたり、たまにはカフェでサラダランチを楽しんだり」。
やりたいと思ったことには躊躇(ちゅうちょ)せず挑戦、ネバーギブアップの精神で失敗を重ねながらも、自分らしく前進する潔さが、山内さんの爽やかな魅力を際立たせていました。
これからの私
中国ファッション界とのパイプを生かした仕事をしたい
中国の商品を扱うセレクトショップの経営をしているので、そのつながりを生かして、今度は自分がデザインしたマタニティーウエアや授乳対応のワンピースを中国で作るのが今の夢。おしゃれをしているときはポジティブな気持ちになれるから、着ていてラクだけど、ちゃんとおしゃれ心が満たされる物を作りたいです。
<教えてくれた人>
サンキュ!アンバサダー 山内藍さん(東京都 40歳)
大分県生まれ。夫、長女(5歳)の3人家族で、現在第2子を妊娠中。25歳のとき中国へ渡り、モデルとして活躍。現在はファッションアイテムのセレクトショップを経営。
参照:『サンキュ!』2024年4月号「今までの私、これからの私」より。掲載している情報は2024年2月現在のものです。撮影/西﨑博哉(MOUSTACHE) モデル/山内藍(サンキュ!アンバサダー) 取材・文/藤坂美樹 編集/サンキュ!編集部