ワンオペ育児に“絶望”した「主夫」が目指す脱・ワンオペ育児の取り組み

2019/03/30

金髪がトレードマーク、「NPO法人ファザーリング・ジャパン」や「秘密結社 主夫の友」などで活動し、絵本の読み聞かせや子育て支援イベント、育児に関する講演活動などに携わっている「しゅうちゃん」こと、佐久間修一さんは、「専業主夫」を名乗る1児の父。

しゅうちゃんの「妻」がフルタイムで働き、一家の大黒柱として家計を担っています。しゅうちゃんがなぜ専業主夫になったのか、主夫になってからの葛藤や現在に至る活動のきっかけなど、インタビューで詳しい話をお聞きしました。
(取材・文/みらいハウス 野際里枝)

新婚直後、難病が発覚し「主夫」に

――しゅうちゃんはなぜ主夫になったのですか?

元々エンジニアとして一般企業に勤める会社員でした。当時おつきあいしていた女性、今の妻と結婚したその半年後に、会社で受診した人間ドッグにより病気が見つかりました。医者から告げられた病名は「サルコイドーシス」。国が難病に指定している原因不明の多臓器疾患です。少ない確率ではありますが、病気が原因で死に至ることもあると知らされました。

病気による症状のせいで、会社を辞めることになりました。難病ですから、治る見込みはありません。一生抱えて生きていくわけです。だからこの先ずっと社会に戻れる見込みもないことに思い至って、妻に「離婚してください」と伝えました。離婚して、自殺しようと思いました。自分はこの先仕事もできず、生きる価値がない。妻は自分より8歳年下で、この先足手まといになるのは申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

そのときの妻の答えは、「別れない。私が稼いでくる!」でした。会社勤めはできないものの、家で安静にしていれば症状は落ち着くとの診断もあり、妻は、「家で養生しなさい」と言ってくれたのです。それで、家事を担当することにしました。最初のうちは、男としてのプライドとの闘いで、毎日悶々とした日が続きました。


――男としてのプライドとは?

20年以上前ですから、世間の「男性は会社で働き、家族を支える」という価値観は今よりも強かったように感じます。自分自身にもその価値観がありました。昼間にスーパーに買い物に行くと、あからさまに不審な目で見られたり、なぜ買い物をしているのかと聞かれ、妻が働き自分は家事を担当しているのだと説明すると、批判的な言葉をぶつけられることもありました。人目を避けるため、買い物は人が少ない開店時に行くようにしていました。見栄とプライドが捨てきれず、しばらくは、毎日スーツを着て家事をしていました。


――ふっきれたきっかけは?

しばらく暮らすうちに、妻の収入が自分の以前の年収をあっさり超えました。「僕が社会に戻る意味って何だろう?」と考え、自分が会社員として企業に戻ることはもうないと、そのときふっきれました。その覚悟から、髪を金色に染めました。自分としては今までの価値観と決別する覚悟の意味を込めた金髪でしたが、妻は金髪を面白がってくれました。このときが「専業主夫」としての人生のスタートです。

難病のため子どもはあきらめていたが……

――子どもを持つことになったきっかけは?

子どもは欲しかったのですが、病気があったため夫婦で話し合うこともなくあきらめていました。ところが、専業主夫になって10年ほどすぎたころ、病気が沈静化しました。定期検診で、医師から「難病が消えちゃいましたが、どうしますか?」と言われました。この病気は完治することはありません。病状が消えても、落ち着いているだけで、治ったわけではないのです。

そのとき医師に「子どもが欲しいんですがどうでしょうか?」と相談したところ、今なら大丈夫という返事をもらいました。帰宅して意気揚々と妻に伝えたところ、「子どもなんてつくらない!」と一蹴されました。病状が落ち着いているとはいえ、この先も不安を抱えている状況だし、妻は稼がなければいけないため、必死で積み上げてきたキャリアを出産育児で失うことはできない。「無理」と思う気持ちは痛いほど理解できたので、このときは「はい」と飲み込みました。

でもやっぱりあきらめられず、妻を説得するため、妊娠、出産、妊娠に伴う病気、子育て、栄養のことなどに関して猛勉強しました。「ベビーシッター認定」と「ベビーマッサージ認定」の講師資格も取りました。2年がけで勉強し、「妊娠・出産・母乳以外は全部自分でできる!」と確信したことから、妻に「子育てについては何も考えなくていい状況をつくる!」とプレゼンテーションし、何度も説得を繰り返しました。

「無理」の一点張りだった妻も、いろいろな人に相談して「チャレンジはすべき」と思ったようです。「産むだけ産むから後はまかせる」との言葉をもらい、妊活をスタート。検診や産婦人科のある病院など、すべてを調べ、手配し、妻の産休の準備、妊娠中の運動の管理までしっかり行いました。例えば、出産前の1カ月間は、妻に散歩を促し、いつもつきあっていっしょに歩きました。結果、妻は分娩室に入ってからたった15分で出産、驚くほどの安産でした。

生後3カ月で実感したワンオペ育児の絶望

――出産後の育児生活はどのようなものでしたか?

妻には産後2カ月の産休を取り、その後、仕事に復帰しました。3カ月目からは1人。いわゆる「ワンオペ育児」です。家でつきっきりでわが子と向き合っていたら、ある日、わが子の泣き声を聞いて、口をふさぎたい衝動にかられました。あんなに欲しかった子どもなのに、泣き声に耐えられなくなるなんて。「育児がたいへん」どころではない、ワンオペ育児の絶望を味わいました。

買い物に行けない、トイレに行けない、カップラーメンすら食べる時間がない。自分の食事をつくったり、ましてやゆっくり味わうなんてことはできません。これは母親だから、女性だから、という問題ではなく、育児は1人で抱えきれないということに気づきました。ワンオペ育児がいかに無理な状態であるかを痛感し、そのときの経験から、乳児を抱えるママたちに手づくりラーメンを振る舞う「しゅうちゃんのランチサロン」や、図書館での読み聞かせイベントなどの活動が始まりました。


――今はNPO活動にかかわっていますが、そのきっかけは?

妻が妊娠する前から、「ファザーリング・ジャパン」の活動に興味を持っていました。子どもが生まれてから本格的に活動に参加するようになり、自分の体験から「男性も主体的に家事育児に携わることの大切さ」を伝える講演などを担当する機会をいただきました。

「秘密結社 主夫の友」という団体も立ち上げ、そのときに、主体的に家事育児に取り組む夫を「主夫」と定義づけました。だれかのお手伝い気分だったり、気まぐれにやって「イクメン」などと呼ばれている男性に、女性が憤りを感じる気持ちがわかります。分担やシェアはあまりオススメしていません。それよりも、家のことをお互いが主体的に考えられるようになれば、やることが当たり前。男性から「やってあげた」「こんなにやっているのに」などの発言は出てこなくなると思っています。

ワンオペ育児からの脱却を実現するために

――しゅうちゃんの家庭ではいかがですか?

妻は、よく「うちの夫はよくやってくれている」と言われる家庭の夫と同程度に家事育児に取り組んでいると思います。最初のころ、「おいしいところだけをやらせない」ことを徹底しました。「育児は僕の仕事だから」と、妻に子どもを抱っこさせることもおむつ替えをさせることもほとんどありませんでした。

生後4カ月ほどして、妻が「ずるい、私もやりたい」と言ったので、そのとき、「やりたいならやればいい、その代わり半端にやるのはやめてほしい」と伝えました。それから妻は、家事にも育児にも責任を持ってかかわるようになりました。


――今後の活動はいかがでしょうか?

「秘密結社 主夫の友」で、企業とタイアップしてパパのための育児アプリの開発などに携わっています。病気で生きる意味を見失った人間が、こうして子どもをきっかけに、いろいろな活動につながっていること、社会の落後者として生きる覚悟から金髪にしたのに、今は金髪がトレードマークになるなんて、人生は不思議だなと思わずにいられません。

◇◇◇

しゅうちゃんの話のなかで、ワンオペ育児の絶望感や、相手を育児に参加させるむずかしさなど、思わず「うんうん!」とうなずいてしまう場面がたくさんありました。お互いを理解するために、しゅうちゃん夫妻は常に対話の時間を持つようにしてきたそうです。

子どもが欲しいという希望をかなえるために妻を説得したしゅうちゃんの話を聞いて、私は夫と対話をしているだろうかと思い返して反省しました。夫の理解を得られないときがいちばんつらいと感じながらも、理解を得るためにしっかりはっきり伝えていない、伝えることを避けていたことに気づいたのです。自分の気持ちや状況に向き合って、それを言葉にしていかないと、たとえ近くにいても伝わらない。これからは、言葉にして夫に伝えてみようと思います。

取材・文/みらいハウス 野際里枝
東京都・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングチームメンバーとして、育児にまつわるさまざまな取り組みをしている人や、地域をつなぐ人にスポットをあてて紹介。9歳と5歳の2児の母。

構成:サンキュ!編集部

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