「何で赤ちゃん来てくれないんだろう」長男と共に流した涙――2人目不妊の治療を終えるとき
2022/07/30
「不妊治療」と聞くと第1子の妊娠を望むカップルが行うもの、と考えがちですが、じつは第2子を授かることができないことに悩む「2人目不妊」の人も少なくありません。
そして、幸運にも第2子を授かることができる人がいる一方で、2人目をあきらめる人もいます。今回は7年の治療の末に、2人目を諦めるという決断をした、Yさんにお話を伺いました。
(取材・文/みらいハウス 福井良子)
仕事と育児、治療の両立に奔走する日々
「ほかの子にはきょうだいがいるのに、何で僕にはきょうだいがいないの?」
2人目が欲しくて不妊治療を受けていた最中に、当時保育園の年長だった長男から言われた言葉が心に刺さる思いだった、と振り返り語ってくれたYさん(43歳)。2人目不妊の治療を始めたのは35歳のとき。当時、長男は1歳を迎える前でしたが、早めに断乳を行い治療の準備を整えました。
「長男を授かる以前に、夫に不妊原因である精索静脈瘤が見つかり、手術を受けることを決めていました。予約まで入れていたのですが、3度目に行った人工授精で手術前日に陽性判定を受け、そのまま無事長男を授かりました。
しかし、2人目不妊の治療を始めるにあたって、やはり夫の手術は必要との判断となり、手術を行った後に治療を再開。1人目が男の子だったので、なんとなく『次は女の子がいいかな』と考えていました。
その後、長男も保育園に入園して私も復職したので、仕事との両立をしながら人工授精を2年ほど続けることに。しかし、妊娠に至らなかったため、体外受精へステップアップすることを決めて転院しました。このときには、『無事に赤ちゃんを授かることができれば性別はどちらでもいい』という思いでしたね」
――しかし、ステップアップしたことで、通院回数、薬の種類や量も増え、心身ともに負担を感じるように。さらに、そこに仕事と育児の両立の負担が重くのしかかります。
「私の職場は旅行代理店で、産前は閉店までのシフト勤務。育休明けは時短勤務になったのですが、土日休みではないため、病院の診察に合わせて休みをもらえるようシフトの調整も行いました。でも『時短勤務をさせてもらっている』という負い目や『1人目もいるし、ほかの人に迷惑をかけたくない』という申し訳なさが拭えず、治療をしていることは誰にも明かすことができなかったんです。
クリニックは職場からタクシーで20分ほどの距離。どうしても休めないときは、排卵を促すための注射を打ちに昼休みに中抜けしたり、出勤前に病院に立ち寄って職場に向かったりすることも多々ありました。通院回数を減らすために、注射の数を少なくしてもらったり、排卵日と仕事が重ならないように薬剤の量を調整してもらうこともありました。
長男に負担をかけてしまうのもつらかったですね。保育園のころは園に預けて診察に行けたのですが、小学校に上がってからは、学校が休みの日に診察が重なった場合、家で留守番させておくわけにもいかないので、クリニックに連れて行かざるを得ない。待合室は女性の患者さんばかり。1人目不妊のかたも多くいたので、長男に向けられる視線がどうしても気になってしまって……。長男には申し訳なかったのですが、診察中はロビーで待っていてもらうこともありました」
「何で私ばっかり!」高まる夫への不満と焦り
精神的にも、肉体的にも大きな負担となる不妊治療では、パートナーのサポートが欠かせません。しかし、夫は仕事が多忙で、家事と育児のすべてがYさんへ降りかかることに。なかなか妊娠できないこともあり、夫婦仲にも亀裂が入りそうになります。
「夫はメーカーの技術職で出張や残業が多い仕事のため、長男の世話は基本的に私の担当。仕事、家事、育児すべてをひとりでこなし、それに加えて耐えられないほどの激痛がする採卵や、排卵を促すための腹部注射などの治療もある。当然、ストレスが溜まる日々が続き『何で私ばっかりがこんなに痛い思いをしなくちゃいけないの!』と思うようになりました。
正直に告白すれば、『私には(不妊の)原因がない。夫のせいなのに!』と考えることもあった。言葉には出しませんでしたが、態度には出ていたと思います……でも、夫も私と同様に悩み、苦しんでいたはず。配慮が足りなかったかな、と感じることもあります。でも当時は『あなたと結婚していなければ、私は違う人生を歩めたはず!』などと相手を傷つける言葉が次から次へと出てきそうで、正直に気持ちを伝えることができずにいました」
――そして、長男の言葉にもYさんは胸を痛めることになります。
「周囲にきょうだいのいる友だちが多かったため、『弟が欲しい』と言ってくることが多くなりました。もともと1人でもいいと決めていれば、上手く切り返せたのかもしれませんが、私も子どもが好きでしたし、きょうだいをつくってあげたいと夫婦で強く望んでいたので……長男に返す言葉がなく、切ない気持ちになりました。ときには、『何で赤ちゃん来てくれないんだろうね』と、いっしょに家で涙を流すこともありました。
そんなこともあったから、とにかく早く妊娠したい一心で、痛みや夫への不満は胸にしまって、生理が来るたびに次の治療へと気持ちを切り替え、毎周期ベルトコンベアに乗せられているように無我夢中で治療を繰り返しました。採卵は2カ月に一度のペースで行い、ざっと20回以上は行いました。
そんな中で、3回の妊娠反応があったんです。そのうち2回は陽性判定後、胎嚢を確認する前の流産。そして3回目は心拍を確認することができて『今度はいけるかも』と期待していたのですが、その後、赤ちゃんの心拍が止まってしまいました。やっと心拍確認までたどり着いた、というところからの流産でショックを受け、しばらく悲しみに打ちひしがれました」
「あきらめたくない、でも、潮時なのかな」と揺れ動く気持ち
3回目の流産で心身ともにかなりのダメージを受けたYさん。しかし、どうしても2人目をあきらめきれず、別の不妊専門クリニックへ転院することにしました。
「そのクリニックでは3回の採卵、移植を行いましたが、いずれも妊娠しませんでした。そこで主治医から、受精卵の染色体検査を受けてみることを提案されたんです。検査料も高額なので受けるかどうか悩みましたが、妊娠につながる可能性が見つかるのなら、と藁にもすがる思いで受けることに。年齢からくる焦りからか、検査結果を待つ約3週間が数カ月にも感じられました。
じつは、この検査は夫には内緒で受けたんです。何か弱音を吐くと『じゃあ(治療を)やめようか』と言われそうで、そのことが怖かったから。判定日に陰性とわかったときもつらかったですが、治療をやめようと言われることが怖くて、結果を言い出すことができませんでした。”治療をやめる”ということは”子どもをあきらめる”ということでもありますから、その事実を受け入れるのが怖かったんです。そのような理由で、検査費は自分の貯金を切り崩していて、毎月の給与やボーナスは飛ぶように消えていきました。さらに週1回の鍼治療や妊娠しやすい体づくりのためのサプリメント代など……それまでの治療費はトータルで、ざっと1,000万円は超えているかもしれません」
――何とか2人目を授かりたいと無我夢中で走り続けてきたYさん。しかし、あることがきっかけで「もう治療をやめよう」と考えるようになりました。
「治療をやめようと思える後押しとなったのは、受精卵の染色体検査の結果でした。やっとの思いで受精して成熟卵になってというところまでこぎ着けても、全ての卵が染色体異常という診断になったとき、『ああ、これが私の体の現実なんだ』と受け入れざるを得なくなりましたね。高齢出産のニュースなどを聞くと『もしかすると、もう少し続けられたかな』と思うこともありますが、もう、その頃には『2人目が欲しい』という熱意よりも、苦しさやつらさの方が勝っていたのです。それで、3回目の染色体検査を行った後のタイミングで治療を終えることにしました。35歳で2人目不妊の治療を開始して、そのときは42歳になっていました。
……いまでも、ベビーカーを押して歩く妊婦さんや、なかよく遊ぶきょうだいの姿を見ると、心がモヤモヤすることはあります。なので、完全に吹っ切れるにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、いつか『お疲れさま』と、これまで治療をがんばってきたことを夫婦で労い合いたいと考えています。
また、きょうだいが欲しいと願っていた長男に、2人目を作ってあげられなかったことへの申し訳なさを感じることもあります。簡単には拭い去れない思いではありますが、今は長男と過ごす時間を大切にしていきたいですね」
取材を終えて
治療をあきらめたとはいえ、すぐに2人目のことをあきらめられるわけではなく、ふとした拍子に心が揺れ動いてしまう、というYさん。その気持ちはごく自然なもので、時間をかけて向き合っていくしかないのでしょう。それは、深い孤独感や大きな喪失感を伴うものかもしれません。そんなときは、ひとりで抱え込まずに、当事者会や専門家によるカウンセリングなどを利用するという方法もあります。
また、ひとつの可能性を終えるということは、別の道や可能性が開けるということにもつながります。これまでの苦労や痛みが癒されることで、新たな家族の物語が始まるきっかけになることを願っています。
■取材・文/みらいハウス 福井良子
東京・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングメンバー。キャリアコンサルタントや不妊カウンセラーの資格を持ち、女性のキャリア相談や、不妊経験のあるママたちの支援などに取り組んでいる。1児の母。