8年間で1000万円貯金を達成した、サンキュSTYLEライターのなべあつこです。現在54㎡の2LKの社宅で、家族3人で小さくシンプルに暮らしています。
今日は、あの日から10年、想いをつづります。
10年前の3月11日
転勤族ですが、東日本大震災のあった日は、地元の関西で暮らしていました。当時は塞ぎがちで自分探しに奔走していました。新しいことを始めよう!そう思い立って楽器屋さんに行き、可愛らしいウクレレと楽譜を購入して帰宅しました。
美しいフォルム、新しい音色にうっとりとして、ウクレレに夢中でした。時刻は15時すぎ。友人から、「大きな地震があったね」とメールが来て、慌ててテレビをつけました。春めいていた気持ちは一転してしまいました。あの時に観た、テレビの映像が今でも忘れられません。
よみがえってきた阪神・淡路大震災の記憶
私が中学生の頃、阪神・淡路大震災にあいました。当時も関西に住んでいました。
明け方、地震の大きな揺れで目覚め、ジェットコースターに乗っているかのような激しい揺れの中で「これは現実なのか?」と、すぐには理解することができませんでした。
これまでの長い人生の中で、震度5を何度か経験していますが、阪神・淡路大震災が1番大きく揺れ、とても不気味だったことを覚えています。その時に初めて地震の恐ろしさを知りました。
だけど、年月が経ち少し忘れかけていたんです。10年前の3月11日、そのことにようやく気がつきました。
人は記憶を消しながら生きていく生き物だそうです。
すべてのことを忘れずに沢山の悲しみや辛さを抱えていたら、苦しくてとても生きてはいけないから。だから、私の中の地震の記憶は、ただ「恐ろしい」という感情くらい。
そして、なにかのきっかけに思い出す、その繰り返しです。
忘れたくない
これまで40年近く生きてきた人生の中で、大きな震災が二度あって、台風や、大洪水は何度も起きています。
私にできることは、大震災を知らない娘にしっかりと伝えていくこと、日頃から備えること、感謝を忘れないこと。
少しでも備えたい
去年、九州に近づいた台風10号を覚えていますか?転勤族で九州に越してきた我が家にとって、初めて経験することでした。
だけど、何も動けなかった…何を準備すればよいのか全く分からなかったんです。日頃からの想像力不足、準備不足を痛感した出来事でした。お水、即席麺、ビニールシート、養生テープは、あっという間に売り切れていました。
現在の我が家の備蓄。実はこれでもまだまだ足りていないと感じています。
ミニマリスト思考が強い我が家ですが、充分なスペースを確保するようにしています。ほかにも、防災頭巾やヘルメットを玄関に置いてあります。
最後に
私は、大切にしたいものを見つけることができました。沢山の方に手を差し伸べてもらいました。
今、10年前には全く想像できなかった人生を歩んでいます。だから、人生はおもしろい、素晴らしいんだ!と、心から思います。まずは行動してみる!ダメなら、また何か始めればいいのだから。
この記事を書いたのは.....主婦ライター_なべあつこです。
ただ「節約と貯金が好き!」というだけで、1000万円貯めた普通の主婦です。Instagramでは、節約と貯金、お片付けのこと。ブログでは、お得な情報や日々のことを綴っております。
※ご紹介した内容は個人の感想です。