耳が聞こえなくても、話したいし、つながりたい。そんな思いで 「手話カフェ」を始めた
2022/08/25
子どもの頃から少しずつ聴力を失い、中2で両耳がほぼ聞こえなくなった綿貫彩さん。平日は会社員として仕事をし、仕事が休みの土日(隔週)に「手話カフェ」を始めました。英語で交流する「イングリッシュカフェ」のように、手話で交流できるカフェ。そこに込められているのは、「耳が聞こえなくても話したいし、繋がりたい」という彩さんの切実な思いでした。
■PROFILE
綿貫 彩さん(36歳)/長野県
手話カフェ「しゅわわん」店長・会社員。家族構成は中2の長女と小6の二女。平日は一般企業で事務、土日にボランティアで「しゅわわん」の店長を務める。好きな時間の過ごし方は夜の1人ドライブ(娘たちはついてきてくれない)で、夏はホタルを見に行く。
◎のんびり手話処「しゅわわん」長野市三輪8-30-25 開店:隔週土・日曜日11:00-14:00(13:00ラストオーダー)
※オープン日はFacebookでご確認ください。
■History
1993年(8歳)難聴(右は中等度、左は重度)がわかる。右の聴力も徐々に下がる
1999年(14歳)両耳がほぼ聞こえなくなる
2000年(15歳)地元の私立高校に進学
2003年(18歳)県内の短大に進学/聴覚障害学生団体に入会する/手話を覚える
2005年(20歳)聴覚障害学生が多い私立同朋大学(愛知県)に編入する
2008年(22歳)大学卒業/地元に戻り就職(学童保育指導員)/結婚
2009年(23歳)長女出産
2010年(24歳)二女出産
2011年(25歳)NPO団体で手話講師・地域学校に通う難聴の子どもと親の支援を経験
2013年(27歳)シングルになる
2020年(34歳)「しゅわわん」を始める
会話に加われない悲しみともどかしさが、 カフェを始めた原動力
彩さんが難聴と分かったのは小2のとき。当時、左耳は全く聞こえない状態でしたが右耳はある程度聞こえていたため地域の学校に通いました。「補聴器をつけてもよく聞こえるわけではなく、私の場合は高い音が分かる程度。聴力が下がるにつれて会話も聞こえにくくなり、学校生活で壁にぶつかることが多かったです」。
先生の話が理解できず授業についていけない。同級生の遊びや会話にも加われない。「どうしたら自然にコミュニケーションが取れるか、大人になってからもずっと考えていて。筆談や手話を使って聞こえるひととろう者(しゃ)(聞こえない人)・難聴者がつながれる場があれば、と週末限定のカフェを始めました」
聴覚障害は「話したくない」のではなく、「話したいのに難しい」障害
「聴覚障害者は学校でも職場でも『話をしない役割がいいよね?』と一度は言われます」と彩さん。聞こえにくいならその方が楽なのでは、と聞こえる人は思いがちですが「それは誤解。本当はひとと話したいし社会とつながりたい。ただ、声でやりとりするのが難しいだけなんです」。コミュニケーションを取るには声の会話に限らずいろいろな方法があります。「チャットや手話で話すことも"普通"になったらいいね、と難聴の友達とよく話しています」
子ども時代はひたすら聞き返してうんざりされる…… その繰り返しでした
「当時は筆談という方法を知りませんでした。先生や友達に何度も聞き返して、それでも話を理解できず、互いにわだかまりを抱えて傷つくことも。それが嫌でコミュニケーションをあきらめ、人とつながりたいという欲求にふたをしていました」
聞こえにくそうなひとに会ったら どうしたらいい?
聴覚障害があることは見た目から判断できず、また補聴器をつけていても聞こえにくい場合が少なくありません。聞こえにくそうなひとに出会ったら、以下のコミュニケーションを試してみましょう
音声を使わない会話の方法
1:書いて伝える
聞こえにくいひとには音声ではなく文字や絵などの「視覚情報」で伝えるのが基本。筆談はその代表的な手段。身ぶりや指さしも有効
2:スマホのメモに入力して見せる
メモアプリに伝えたいことを入力して見せる。音声入力アプリを使えば自動で文字表示され、よりスムーズに。スマホのチャットも便利
3:パソコンに打ち込んで見せる
伝えたいことをキーボードで入力して画面を見せる。文字を大きくしたり太字にしたりすると読みやすい。※写真の手話は「お茶」の意
聞こえないひとと聞こえるひとが、筆談や手話で仲よくなるのがうれしい
「『しゅわわん』で出会ったひとと意気投合してごはんに行ったというお客さまもいるんですよ。『聞こえない人ってこういう感じなんだ』と知ってもらうきっかけの場になるのも目標のひとつですね」
聞こえないままで、 社会のなかで生きていける。そんな日が来るのが私の夢
「話を聞き取ろう、音声で理解しようと必死で食らいつかなくても、1人でも多くの人が筆談などのコミュニケーションを自然にしてくれるようになったらありがたいですね。私が生きているうちにそんな日本になったらいいな」
撮影/久富健太郎(SPUTNIK) 取材・文/神坐陽子
参照:『サンキュ!』2022年10月号 連載「あしたを変えるひと」より。※掲載している情報は2022年8月現在のものです