小学校の先生を辞め、古民家でフリースクールを始めた。「ここは不登校の子がエネルギーを充填する場所」
2023/09/16
学校がつらい子に寄り添いたい。激増する不登校に、学校外の教育の場が必要ではないか、そう気づいた森明子さんは、小学校の先生を退職し、福岡県の古民家で森のフリースクール「木立(こだち)」を始めました。
<教えてくれた人>: 森のフリースクール「木立」代表 森 明子
1985年長崎県生まれの38歳。長崎大学で環境問題や植物生態を学ぶ。卒業後ショッピングモールに勤務し結婚・妊...
- 学校がつらい子に寄り添いたくて、小学校の先生を退職。古民家でフリースクールを始めた。
- 担任するクラスに毎年必ず、集団になじめない子がいる。「学校の外の教育が必要」。そう気づいた私が始めることにした
- 学校がつらくて元気がなくなった子が、「人と関わるって楽しいな」と思えるようになるのが目標
- 学習の遅れは取り戻せる。それよりもずっと大切なのは、小さな自信をもたせること
●プロフィール
(もり あきこ)1985年長崎県生まれの38歳。長崎大学で環境問題や植物生態を学ぶ。卒業後ショッピングモールに勤務し結婚・妊娠を機に退職。雲仙市の小学校の事務職員を経て福岡県糸島市の公立小学校の教員になる。離婚ののち児童数約700名の大規模校で学級担任と学年主任を兼務。その頃にフリースクールの開校を決め退職し、市の適応指導教室で学校復帰支援にかかわり、23年4月に「木立(こだち)」を開校。小5の長男と2人暮らし。【木立】福岡県糸島市王丸569-1。インスタグラム@ito.ito.freeschool
学校がつらい子に寄り添いたくて、小学校の先生を退職。古民家でフリースクールを始めた。
担任するクラスに毎年必ず、集団になじめない子がいる。「学校の外の教育が必要」。そう気づいた私が始めることにした
高校時代から小学校の先生になるのが夢だった森さん。新卒時は公立学校の教員は狭き門だったため、民間企業に勤めるなど回り道をして29歳で教職に就きました。「教員は想像以上に激務でした。性格も学力も家庭環境も違う児童40人を自分1人でみて、放課後は会議や学校運営のための事務作業や打ち合わせ、行事の準備や報告など業務が山積み。先生たちの笑顔が消えた状況のなかで、一番大切にしたい子どものケアが後回しになっていました」。
集団生活が苦手だったり敏感だったりして学校に通えなくなる子は毎年いましたが、コロナ禍で不登校は激増。それを肌で感じた森さんは「学校外の教育の場が必要。私がやらなくては」と、教員8年目にフリースクールの立ち上げを決意。退職後、市の適応指導教室で不登校支援の実務経験を積んだのち、住まいの古民家で「木立」を開校しました。
学校がつらくて元気がなくなった子が、「人と関わるって楽しいな」と思えるようになるのが目標
「学校がつらいという人生の試練の中にいる子は、人に会う気力も学ぶ意欲もなくして家に閉じこもり、結果的にゲームや動画漬けになりがちです。そんな“状態が悪くなった”子にまず自信をつけさせ、社会に送り出すのが木立の目標。学校復帰はその子の意志とタイミングにまかせて無理強いはしません。
ここはエネルギーをチャージする場所。学習支援に加え、思っていることを伝える練習や畑仕事、調理、工作、音楽などの体験授業を行っています」。
【DATA】学校に行かなくなった子は過去最多の24万人超に
不登校の子どもは10年前から増え続け、コロナ禍の2020~2021年度の1年間には23.1%増え24万4940人に(小中学校合計)。休校を体験して集団生活に戻るのがつらい、コロナ禍により保護者が経済的・精神的に追い詰められたことが子どもに影響して登校が難しくなった、などの原因が考えられている。
フリースクールって?
不登校の子どもに対し、学習活動や体験活動、教育相談などを行う民間施設。国が15年に行った調査では全国で474の団体や施設が確認されたが、現在はもっと増えていると思われる。なお一定の要件を満たせばフリースクールでの学習活動が在籍校での出席扱いにできることが「教育機会確保法(16年制定)」で認められている。
学習の遅れは取り戻せる。それよりもずっと大切なのは、小さな自信をもたせること
「家を出て木立に来られた」「みんなで昼ごはんを作っておいしく食べられた」「思っていることを伝えられた」など小さな「できた」をたくさん体験できるよう促し、一緒に喜ぶことを大切にしています。「ささやかだけどそこから自信が生まれ、自分を大切に思う自愛につながります。そういった生きる土台ができてくれば、勉強は後からでも大丈夫」。
苦しいときに「お守り」になってくれる言葉を教える
「ことわざや格言は大切なことを一瞬で伝えてくれる。私自身、言葉に何度も勇気づけられてきました」。久しぶりに登校する子に捧げるのは“人のうわさも七十五日”。「あの子は学校に来られなかったんだよ……などといううわさや陰口におびえる心を楽にしてほしくて、お守りを手渡すような気持ちで教えています」。
安定した仕事を捨てて飛び込んだ道 保障はないけど、助けてくれる人がたくさんいる
「私はシングルで大きな蓄えはないので、立ち上げにあたり銀行から融資を受けています。決めたら後戻りできない性分。そんな私の状況や性格を知っている友達や近所の人が事務やDIYを手伝ってくれたり備品を寄付してくれることに感謝しています」。
参照:『サンキュ!』2023年10月号「あしたを変えるひと」より。掲載している情報は2023年8月現在のものです。撮影/久富健太郎 取材・文/神坐陽子 編集/サンキュ!編集部