柔らかい水色の毛布で母親の手に新生児の手。

自分らしさを諦めない!出産直後に脳出血で半身麻痺になったママがファッションブランドを立ち上げた理由

2020/09/29

出産はときとして命の危険を伴います。医療の発達により、産前産後に命を落とす女性や赤ちゃんは減りましたが、ゼロになったわけではありません。

今回は産後8日目に脳出血を起こし、半身麻痺という障害を持つことになった布施田祥子さんにお話を聞きました。
(取材・文:みらいハウス:渡部郁子)

話を聞いた人・・・

布施田 祥子(ふせだ さちこ)さん

株式会社LUYL(ライル)代表。障害当事者となり、外出時に下肢装具が必須となったとき、履きたい靴、履ける靴がないことに気づき、「下肢装具を着けていてもオシャレに履ける靴」をつくるブランド「Mana’olana」を立ち上げ、誰にとっても「選択肢のある日常」が当たり前になる社会を目指し活動中。

双角子宮のため妊娠をきっかけに退職

結婚してから子どもができるまで7年。その間は、夫婦で旅行に行ったりゴルフを楽しんだりするなど2人の時間を楽しんでいたという祥子さん。そんなある日、待望の妊娠が判明します。

「旅行が好きで、派遣社員として働きながらお金を貯めては旅行に行くという生活をしていました。妊娠に気づいたのは、友人と韓国旅行に出かけていたとき。実は以前、子宮の検査をしたことがあり、そのときに双角子宮(※)であることを知りました。実際に妊娠してからの検査で、双角子宮の影響によりこのままだと子宮が破裂する可能性があるとのことで、安静が必要と言われたので、仕事を辞めました。

妊娠7カ月ごろからお腹の張りがひどくなり、双角子宮への影響を考えて張りを抑えるために運動禁止、歩きも極力控えることが必要となりました。それまで通っていたフラダンスやヨガも控え、できるだけ安静に過ごした結果 、おなかの中の子どもは順調に育ち、予定どおり、帝王切開の日を迎えました」


※子宮疾患の一種で、妊娠時は流早産リスクが高くなるとされている
(参考:https://www.jaog.or.jp/note/5%EF%BC%8E%E5%AD%90%E5%AE%AE%E7%96%BE%E6%82%A3/)。

産後8日目に脳出血、意識不明から奇跡の回復

帝王切開のため出産後は10日間の入院を予定していた祥子さん。そして産後8日目に脳出血を起こします。

「妊娠中から頭痛がひどく、産後もずっと頭痛が続いていました。でも、もともと頭痛持ちなので、よくあるいつもの頭痛だと思っていました。倒れる前日は頭痛がひどかったことに加えて、血圧も高かったことを覚えています。150ぐらいまで上がりました。ふだんは低血圧なのに、です。でも頭痛も高血圧も『産後によくあることなのだろう』とあまり気にしていませんでした。」

そして“そのとき”は、日付が変わった夜中の授乳の時間、子どもを迎えに行こうとしたときに訪れました。

「頭痛で目が覚め、授乳の時間だと気づいて赤ちゃんを迎えに行こうとしました。が、足がもつれてしまってまともに歩けない。そこでナースステーションに『歩けないから赤ちゃんを連れてきてください』とお願いしたのですが、待っている数分のあいだに手はしびれ、左半身が冷たくなってきました。歩けないし、子どもを抱っこすることもできない状態を見た看護師さんから『ベッドでしばらく安静に』と言われたのですが、自分の中で『これは何かおかしい』と感じました。しかし深夜で医師もおらず、翌朝検査をすることになりました」

翌朝すぐにCTとMRI検査を受け、検査のための投薬で意識を失った祥子さん。検査で脳内に大きな出血が確認され、家族は「このまま意識が戻らないかも」と聞かされました。しかし12日後、祥子さんは奇跡的に意識を回復します。

どうやったら子どもを片手で抱っこできるだろう?

意識を取り戻した祥子さんは、医師から脳出血の影響で半身麻痺になっていることを告げられます。

「半身が動かないことを伝えられたとき、じつはそれほど悲観的にはなりませんでした。そのときは自分の体のことよりも、早く子育てに関わりたい、生まれた子どもを抱っこしたい、片手でどうやったら抱っこできるだろう、といった前向きな気持ちのほうが強かったんです」

祥子さんが前向きな気持ちでリハビリに励むことができた理由はもうひとつありました。

「産後5カ月後に、嵐のナゴヤドームのライブチケットを取っていました。でも、意識が戻ったときは歩けない状態。ふつうなら諦めますよね。でも私は、ナゴヤドームにどうやったら行けるのかを考えました(笑)。リハビリ病院で、ナゴヤドームに行くために歩けるようになる、という目標を立てて取り組んだ結果、2カ月後に下肢装具と杖でなんとか歩けるようになりました。そして入院中でしたが外出許可をもらい、車いすで新幹線を利用して無事に行くことができました」

その後、出産から8カ月で退院した祥子さん。双方の両親と夫のサポートがあり、育児も家事もみんなで担当しながら、なんとかやりくりしてきました。

持病の悪化で大腸を全摘出も「娘」の存在に救われる

半身麻痺になったものの、悲観的にならず乗り越えてきた祥子さん。しかし2年後、新たな試練に見舞われます。

祥子さんは、もともと潰瘍性大腸炎という持病を持っていました。19歳のときに発病してからは、仕事が忙しくなったり無理をしたりすると悪化して入院ということを繰り返していたそうです。悪化するたびに1~2カ月の入院が必要で、絶食とステロイド薬で治療してきました。その大腸炎が再び悪化してしまったのです。

「入院すれば治ることはわかっていたのですが、1カ月以上の入院となれば子どもに負担がかかる。それにステロイドの治療でまた脳出血の可能性が高まるかもしれないという不安もありました。だから入院せずに治したいと考えたんです。

漢方や食事制限などに取り組みましたが、慢性的に痛みがあり、食べられない、寝られない状態が続きました。なかなかよくならないことへの焦りや不安などのストレスもあり、1年半で体重は12kg減。体力も落ちて、家で寝たきりのような状態になりました。このころのことを思い出すのが、今でも一番つらいですね」

祥子さんのがんばりもむなしく、潰瘍性大腸炎は治らず、2015年5月に大腸全摘手術を受けました。

「大腸を全摘出して人工肛門をつけると聞いたときはさすがに『私は何のために生きているんだろう、どうして私ばっかり』という思いが抑えられませんでした。でも両親の前で泣いたとき、母は『病気じゃなくてもいろんなことで苦しんでいる人がいっぱいいる。あなたには家族がいて友達もいるじゃないの』と、父は『これで好きなものを何でも食べられるようになるじゃないか』と励ましてくれました。

両親の言葉のおかげで「人工肛門で痛みがなくなって寝られるようになり、好きなものが食べられるなら、そのほうが幸せかもしれない」と考えられるようになりました。友人たちからの『りんちゃん(娘)がいる(だから生きなくちゃ)』というメッセージも、前へ向くための大きな力になりました」

障害があっても自分らしく!ブランドを設立

潰瘍性大腸炎からクローン病へと病名が変わり、今も病気と闘っている祥子さん。2017年には、装具をつけていてもおしゃれに履けるデザイン性のある靴を製造、販売するブランド「Mana'olana(マナオラナ)」を立ち上げ、講演活動などにも取り組むようになりました。ちなみに「マナオラナ」は「自信・希望」を表すハワイ語です。

「病気や障害に左右されずに誰もが楽しく過ごせるような社会になったらと思います。人工肛門であることをカミングアウトできずに困っている人がいたり、病気のために自分らしく生きることが難しい人もたくさんいたりすることを知りました。講演をする際は、病気や障害に関する理解を深められるような内容を心がけています。

また、『マラオラナ』では靴のほかにも、新しいプロダクトやデザインを提案していきたいです。私の場合、乳製品や揚げ物など食べられないものがたくさんあり、なかなか外で食事することが難しいので、例えば病気があっても友達と一緒に食べられるプレ―ト料理があったらうれしいな、というように考えることがあります。誰もがもっと自由に自分らしく生きられるような社会の実現を提案していきたいと考えています」

取材を終えて

どんなに安産だったとしても、出産は女性の体にとって過酷な試練であることは間違いありません。祥子さんの場合は、複雑な要素が重なって脳出血という緊急事態につながりましたが、奇跡的にも一命をとりとめました。

その後も、さまざまな困難に見舞われましたが、自分で会社を立ち上げバリバリと仕事をこなしており、とても半身麻痺の障害があるようには見えません。しかも、子育て中のお母さんでもあります。

祥子さんがバイタリティに満ちた女性であることは間違いありませんが、インタビューの中では「いろんな人に頼ること、できる人ができることをやること、みんなにサポートしてもらうこと」があるから、と支えてくれる人々への感謝も強調していました。きっと、祥子さんの『マラオラナ』ブランドも、同じ悩みを持つ多くの人の支えになるに違いありません。


◆取材・文/みらいハウス 渡部郁子
東京・足立区にある育児期の女性支援拠点「みらいハウス」のライティングメンバーです。子連れで取材活動に取り組む一児の母。育児と仕事にまつわる社会課題への支援事業や、子育てしやすい地域環境を構築する仕組みづくりを行っています。

構成:サンキュ!編集部

 
 

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