羽生結弦選手が今シーズンも『天と地と』を選んだ理由とは?フィギュアスケートの「曲」はどう選ばれるのか
2022/02/04
2022年2月4日から開幕する北京2022冬季五輪。数ある競技の中でも、メダル獲得への期待がとくに高いのがフィギュアスケートです。五輪開幕当日の午前9:55(北京現地時間/日本時間10:55)に始まる「団体戦の男子シングル ショートプログラム」を皮切りに、2月20日の「エキシビション」まで、連日のようにフィギュアスケートが見られるということで、テレビ観戦を楽しみにしている人も多いのでは?
そこでサンキュ!では五輪開幕に合わせて、日本中が注目するフィギュアスケート競技の観戦がもっと楽しくなる情報をお届け。解説してくれるのは、さまざまなメディアでフィギュアスケートのライターとして活躍する長谷川仁美さんです。
フィギュアスケートの使用曲は、自由に選べる
フィギュアスケートでは基本的に、どんなジャンルの曲でも、滑りたいものを自由に選ぶことができます。
ただし、アイスダンスのリズムダンス(シングルのショートプログラムのような位置づけのもの)だけは、使用曲の「テーマ、リズム」の指定があります。今シーズンは、「ストリートダンス リズム」が指定されていて、ヒップホップやディスコ、スウィング、ジャズ、レゲエ、ブルースなどを使って、ストリートダンスのような表現をすることが求められています。
いずれにしても、幼いころは、コーチやプログラムをつくる振付師などに、「この選手をよりよく見せるためには、こういう曲がいいんじゃない?」と選曲してもらうことが多いです。大人になるにしたがって、「この曲を滑りたい」と自分で決める選手も出てきます。
同じような曲が使われている理由とは?
トリノ五輪優勝の荒川静香さんの使った『トゥーランドット』や、平昌五輪優勝のザギトワ選手の『ドン・キホーテ』など、フィギュアスケートには、よく使われる曲があります。オペラやバレエ音楽、クラシックに限らず、『オペラ座の怪人』や『ムーラン・ルージュ』、『ニュー・シネマ・パラダイス』など、ミュージカルや映画音楽もよく使われています。
同じ曲が何度も使われるのには、訳があります。それは、審判員や観客たちが確実に知っている曲を使うことで、自分の表現したい世界観やシーンを伝えやすくするため、です。
とはいえ、過去にたくさんのスケーターが使用してきた曲ですから、「過去のどこかで、誰かがこの曲で素晴らしい演技を見せている可能性が高い」というデメリットもあります。審判員たちは、過去の素晴らしい演技を知っています。となると、その素晴らしい演技を上回るものが求められるという難しさが生まれます。
他の選手と曲がかぶってしまったケースも!
「他の選手と曲がかぶってしまう」リスクもあります。過去に何度か、ライバル選手同士が同じ曲を選んだことがありました。
今シーズンは男子の宇野昌磨選手のフリーと、女子のカミラ・ワリエワ選手(ロシア/五輪ではROC〔ロシア・オリンピック委員会〕代表)のフリーが、『ボレロ』です。2人とも五輪の優勝候補の1人に挙げられるトップ選手ですが、男子と女子とでカテゴリーが違うので、純粋にそれぞれの『ボレロ』を楽しめますね。
以前は、アイスダンス以外では認められていなかったヴォーカル入りの曲ですが、2014年からはどのカテゴリーでも使用できるようになりました。
歌詞が入ることで、作品のストーリーや意味づけが容易になります。審判員を含むたくさんの人たちにプログラムのメッセージが伝わりやすいこともあり、ヴォーカル入り曲もよく使われます。
よく知っている曲も、編曲や使い方次第で演技の印象が変わる!
今シーズンの河辺愛菜(まな)選手のショートプログラムは、定番曲のヴィヴァルディの『四季 ~冬~』。ですが、彼女のショートプログラムは、ちょっと雰囲気が違っています。
スタートから1分ほどまでのあたりを、聞いてみてください。
たしかに、ヴィヴァルディの『四季 ~冬~』のメロディが遠くに聞こえます。とはいえ、主に聞こえるのは、吹雪のような音。冒頭の大技、3回転アクセルのタイミングでは、その吹雪がギュルルッと荒れるような、強い音が聞こえます。そこで3回転アクセルが決まると、プログラムがぎゅっと引き締まる、という具合です。
よく知っている曲でも、編曲や使い方次第で、印象がぐっと変わる好例ですね。
セリフを入れて、演技への理解度を促すことも
また、アイスダンスの小松原美里&小松原尊は、今シーズンのフリーで、映画『SAYURI』のサウンドトラックを使っています。シーズン初めのころは、冒頭部分などに英語でセリフを入れていたのですが、12月の全日本選手権では、それを日本語に変えました。
すると、私たち日本人には、演技がとても理解しやすくなったのです。どんな思いで物語を進めているのか、ダイレクトに伝わってきたからです。日本語バージョンのセリフを、女優の夏木マリさんに依頼したことでも話題になりました。五輪では、日本語、英語、それとも……どんなバージョンが披露されるのかも、ぜひチェックしてみてください。
選手たちの、強い思いを感じる選曲にも注目
今シーズン半ば、ネイサン・チェン選手(アメリカ)は、ショートプログラムとフリーの両方とも、2シーズン前の曲に戻しました。理由は「あのシーズンのプログラムが好きだから」とのこと。2シーズン前は、シーズン最後の世界選手権がコロナ禍のために中止になっています。曲変更の背景には、この2つの、好きなプログラムの完成形を見せられていない、という消え残る思いがあるのかもしれません。
また、今シーズンのために用意したプログラムをやめるということは、このプログラムを五輪まで練習し続けても、自分の中で納得のいくものができないかもしれないと考えたから、とも想像できます。
五輪優勝候補のチェン選手にとって、今シーズンの曲やプログラムはとても大切なもの。考え抜いた先に、たくさんある過去のプログラムの中から選んだものというのはつまり、「もっとも自分らしいプログラムだ」とチェン選手自身が感じているものなのでしょう。
五輪で披露するフリー『ロケットマン』は、彼の代表作のひとつで、とても人気が高いものです。とくに最後のコレオステップシークエンスはヒップホップで、振付けもとても楽しい!注目してみてください。
羽生結弦選手が『天と地と』を継続した理由
ほかにも、昨シーズン使っていた曲を継続するケースもあります。たとえば、羽生結弦選手。今シーズンのフリー『天と地と』は、昨シーズンから続けて使用しています。
同じプログラムを続けて使うメリットは、振付けがすでに体にしみこんでいるところです。そのため、より深い表現を追求したり、跳ぶジャンプをもっと難しいものに変えたりする余裕が生まれます。
羽生選手は今、4回転アクセルという、史上初の大技を成功させようと挑戦しているところです。プログラムをイチからつくり上げていく時間を、4回転アクセルの練習に充てることができますね。
その選手がなぜその曲を選んだのか……一緒に想像してみよう
大人になるにしたがって、選手たちも、曲への思い入れを強く持つようになります。とくに、ベテランの域に入ってくる、20代の選手たちの選曲には、それぞれの思いがあるはずです。
演技を見るとき、その選手がなぜその曲を選んだのか、好きだからなのか、自分のスケートのテイストに合っているからなのか……といったことも一緒に想像してみてください。
“フィギュアスケートのテレビ観戦がもっと楽しくなる3つのポイント”の記事でも書いたように、「自分がどう感じたか」ということだけが、私たちの胸をふるわせてくれるものです。フィギュアスケートを、選曲の面からも、自由に感じてみてください。
◆監修・執筆/長谷川仁美
ライター。1974年静岡市生まれ。1992年アルベールビル五輪の伊藤みどりさんのころからフィギュアスケートを見始め、2002年より取材開始。選手、コーチ、振付師、関係者など、数多くのインタビューを行ってきた。『蒼い炎II ー飛翔編ー』(羽生結弦)の構成、雑誌『フィギュアスケートLife』、雑誌『Ice Jewels』、Web媒体などでの執筆、オンライントークの企画運営、スケート関連雑貨の企画販売なども。保育園児の育児に揺さぶられる日々を送っている。