カメラマン兼農家。地域に根差して生きていくある女性の挑戦
2019/02/19
大人になっても母になっても挑戦し続ける女性たちがいます。今回ご紹介する女性はカメラマン兼農家の小池菜摘さん。
証券会社でバリバリ働いた20代を経て、夫の実家に"嫁ターン"。楽しく働くロールモデルになるべく、パラレルキャリア(複数の仕事&肩書)を実践中。彼女の飛び切りの笑顔の秘訣とは何でしょうか。
■お話を聞いたのは……小池菜摘さん(岐阜県 32歳)サンキュ!ブロガー。大学卒業後、証券会社に入社。同期入社の男性と結婚後、激務による休職、退職を経て、夫の地元に移住。カメラマン、夫の農業手伝い、地元NPO団体のサポートなどを行う日々。夫と長女(2歳)の3人家族
証券会社のトレーダーが東日本大震災を経て岐阜に移住するまで
元気で前向きで、こうと決めたら一直線。子ども時代は子役タレントとしてドラマやCMにも出演していた小池さんの、運命の出会いは就職1年目の冬。「同期入社の仲間とスノボに行ったら、そこにすごくかっこいい人がいて。それが今の夫です(笑)」。
とはいえ当時、デートの暇はほぼなく、トレーダーとして億単位のお金を動かしていた小池さん。常に世界の株の動きが気になって熟睡できず、持病のアトピー性皮膚炎は「過去最高レベルに悪化」。
なんとか仕事をこなしていた矢先、東日本大震災が起こります。
「3・11当日は都内の会社から千葉の浦安のマンションまで、7時間かけて夫と歩いて帰りました。いろんな話をしているうちに、今の自分のやり方ではこの仕事は続かないと実感したんです」。
そしてその数カ月後、小池さんはうつ病に。結局退職しました。
50年後もこの町が娘の自慢のふるさとであり続けるために
転機は、思いのほか早く決まった岐阜への移住。
「夫の実家は岐阜県北部の中津川市。夫から『いずれは祖父母がやっている農業を継ぐつもり』と知り合ったころから言われていたので、結婚と農業がセットなのは折り込み済みでした。
でも移住はずっと先の予定だったのに、"実家周辺がリニアモーターカーの駅の予定地に決まったから農地が買収されるかも"とか、"高齢の祖母がケガをして農地の維持がむずかしいから戻ってこられないか"という話が出て、農業を継ぐ話がぐっと前倒しになったんです」。
Iターン当初は、冬は寒いし、同世代の友達が近所にいないわ、方言が全然わからないわで本当に孤独!と思っていたとか。
とはいえ、そのころには子ども時代から祖父の手ほどきを受けてきたカメラを仕事にすべく、カメラマンとしてのキャリアをスタート。同時並行で近所のコンビニのバイトを始めたり、飛び込みで写真の営業にも行ったりするうちに、徐々に知り合いが増えたそう。
「『都会から女性カメラマンが来たぞ』と写真の仕事もいただけるようになったんです」。
今、小池さんが仕事と並行して、頑張っているのは地域の活性化。「私の住むエリアが、"50年後消滅可能性自治体"のリスト(※)にのっていたんです。2歳の娘が50歳を過ぎたとき、故郷がないのかと思うといたたまれなくて。この素晴らしい場所を写真という形にして残す、そしてここが素晴らしい場所ということを日本中にPRする。それが私の挑戦です」
※民間シンクタンク「日本創成会議」が2014年に発表した「消滅可能性都市」による
若いメンバーと協力し、地域の活性化に力を注いでいます
この町に住む人が、この町に誇りを持てるように。この町で働ける機会をもっと増やして楽しく働けるように。新しい取り組み、楽しそうな試みを次々実現させています。
行政の冊子や店舗チラシの撮影の仕事
小池さんが手がけた冊子類。恵那市の老舗和菓子店や行政からの仕事も多い。
若手料理人と農家をつなぐ役割も
18年からは恵那市長が旗振り役となり、若手料理人と地元農家を結ぶ"食農交流会"が発足。小池さんは農家集団"恵那NEW FARMERS"の一員として活動中。
FP資格を生かし、地域のママ向けに家計簿講座も
退職後、金融知識を生活レベルにと取得した資格を生かし、地域の集会所で家計簿講座。「『サンキュ!』家計簿を使ってます」。
ホームページやブログで恵那山麓の情報を全国に発信
「岐阜には素晴らしいスポットがたくさんあるから、観光に来てほしい」と小池さん。自分の畑の様子も日記代わりに毎日ブログにアップ。
カメラマンになるには?
プロカメラマンになるための特別な資格や学歴はない。美術系の大学や養成スクールでカメラの基本的な技術を身につけ、写真スタジオなどでアシスタント業務から始めるのが一般的。
カメラマンのアシスタントになり現場経験を積む方法もあるが、どんなアシスタントを採用するかは、各カメラマンによる。小池さんの場合は、4歳のころから祖父に指導してもらい、その後は独学で学ぶ。
「カメラマンになる」と決めてからは自分で名刺をつくり、営業に行った地元の老舗和菓子店でのパンフレットの仕事を得る。そこからは店舗の冊子撮影のほか家族写真の仕事なども。撮影技術だけでなく人間関係の構築も大事とか。
参照:『サンキュ!』12月号「挑戦するわたし」より。掲載している情報は18年10月現在のものです。
撮影/大森忠明 構成・文/宇野津暢子