千原ジュニアさんが語る「14歳の僕は、学校に行かないことにした」

2019/08/26

最近よく耳にする「不登校」の問題。親としては「うちの子は大丈夫かな」と気になるところです。「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(文部科学省発表データ)によると、平成29年度の不登校の小中学生は約14万人で過去最多※。児童生徒数は減少し続けているのに、不登校数は5年連続増加しています。学生時代に不登校を経験し、その理由を「わからない」と言う千原ジュニアさんに、当時のことを伺いました。

<プロフィール>
千原ジュニアさん
お笑い芸人として今年で芸歴30年。07年に執筆した自伝的小説『14歳』は、初版から12年たった今も色あせるどころか、ますます多くの人の共感を得る。「実際にはこんなドラマチックじゃないんですけどね」。『14歳』(¥457/幻冬舎よしもと文庫)

*千原ジュニアさんプチ年表*
●1974年 京都府で生まれる
福知山市出身。3月30日生まれ。4月2日生まれの子とは約1年の差があり、劣等感が強かったそう。絵を描いたり、何かを考えたりするのが好きだった。
●1986年 中高一貫の進学校に合格
●1987年 中2のころ、不登校ぎみに
「学校は地獄」と思っていた中学時代。とにかく何もかもがつまらないと感じていた。
●1989年 高校に進学するも、1年で中退
同年、兄(せいじさん)の誘いでよしもとへ。15歳でデビュー。大切なことは全部舞台そでから学んだそう。
●2015年 結婚
●2017年 第1子誕生
●2019年 デビュー30周年を迎える

不登校のきっかけなんてない。 ただずっと違和感がありました

ジュニアさんが不登校になったのは中学2年生、14歳のとき。いつ、どんなきっかけでそうなったのか、当時の記憶はあいまいだとか。

「友達とケンカしたとか、先生に怒られたとか、何か大きなきっかけがあって行かなくなったわけじゃないんです。今思えば、何かじわーっとたまって『もうムリ』って、なった気がしますねえ」
 
ジュニアさんにじわーっとたまったもの、それは何でしょう?
「違和感、ですかね。学校に行って、教室に入って、そこに座っている自分に対しての違和感です」。とはいえ、ぱったり学校に行かなくなった、ということではなく、最初はいわゆる〝休みがち〞な生徒だったそう。

「時々学校に行く。そうすると強烈な違和感を感じるから、行くのをやめて家にいる。でも、家にいても安心できるわけじゃない。どこにいても『ここじゃない』という感覚があって。学校よりは家、家の中なら自分の部屋……少しでも違和感の少ないほうに移動するうちに、自分の部屋でずっとテレビを見て、用事があれば外出する、みたいな生活になりました」

ひとりで悩む日々。 でも「学校に行く」ことが答えじゃないと感じていた

ジュニアさんいわく、育ったのは〝京都のど田舎〞。不登校中、周囲の目は気にならなかったのでしょうか?
 
「自分はあまり気になりませんでしたけど、親は気にしてたみたいですね。学校に行くのをやめたころは『学校に行け』『なんで行かへんの?』と言われました。でも、答えようがないですよ。自分でもわからないんだから」

不登校の理由は自分でもわからないけれど、学校に行って、勉強して、問題を解いて……の先に自分の人生があるような気がしなかった、というジュニアさん。

「じゃあ、どっちの方向やねん!って言われてもわからない。でも、こっちの方向じゃないことだけはわかる、そんな感じでした」通っていた中学は、私立の中高一貫校。みんなと足並みをそろえて勉強していれば、そのまま付属の高校に進学できたそうですが、そんな自分はイメージできなかったとか。学校から「このままだと付属の高校に上がれませんよ」と再三言われながら、結果としては付属の高校に進学。「親は喜んでいましたが、自分としてはこの先どうしたらいいかがわからず苦しかった。進学できてよかったなんて、まったく思わなかったです」

おばあちゃんが旅行に連れて行ってくれて。

自分でもどうしたらいいかわからない中学校時代、ジュニアさんの支えになったのはおばあちゃんの存在でした。

「うちの親は〝みんなと一緒が正しいこと〞〝冒険しないのがいいこと〞というのが根本にあって、それがすごくイヤでした。でも、おばあちゃんは『何でもやってみればええやん』って感じの人。そういうのが居心地よくて、昔から夏休みになると、必ずおじいちゃんとおばあちゃんの家に行っていました」
 
そしてジュニアさんが不登校中、おばあちゃんから電話がかかってきたそう。「『学校行ってへんのやったら、旅行行こか』とおばあちゃんに言われて、春に2人で金沢の兼六園に行きました。特にたくさん話をしたわけではないけれど、園内をゆっくり歩いたり、お土産物屋さんを見たり、たまたま通りかかったビジネスホテルに泊まったり、久しぶりにのんびり過ごしました。お土産物屋さんでいろんな絵ハガキを見ていたら、おばあちゃんが『兼六園は冬の雪づりがきれいやから、今度は冬に来よか』って言ったんですけど、そのときのことは、今もはっきり覚えています」

兄からの電話で人生が変わった

付属の高校になんとか進学できたものの、結局その高校には1日も行かなかったジュニアさん。
「中学は卒業できたけれど、高校は単位が必要だから進級できない。進級できなければ、早々に退学や。退学になったら学生でもなくなるんやなあ……そう考えたら、自分はもうすぐ何者でもなくなる。高校を〝クビ〞になった自分には、家にいる資格だって、ないんじゃないか……」。そんな切羽詰まった思いでいるときに、兄、せいじさんから電話が。

「『俺が今いる世界で一緒に戦おう。あさって、その世界を見に来いや』とせいじは用件だけ言いました。大阪では夏に漫才コンテストがあって、それに出場するためには相方が必要だ、ってことだったんです」
 
そのころ、ほかの人とコンビを組んでいたけれど、ちょうど解散したばかりだったせいじさん。早くコンテストの準備をしなければ、というときに思い浮かんだのが、弟のジュニアさんだったそう。

「せいじとしては『あ、家になんか変なやつおったな。学校行ってへんのやったら誘うか』くらいの感覚だったみたいです。兄らしく、とか、弟が心配だから、といったウエットな感情は当然ありません。せいじのそういう淡々とした距離感には、ずいぶん救われましたね。あのタイミングで、あの電話をくれたこと、結果としてこの世界に連れてきてくれたことには感謝しかないです」

不安でしょうけど、期待して待つ、しかないんじゃないですかね

その電話の2日後、NSC(吉本総合芸能学院)に行き、初めてお笑いの世界を目の当たりにしたジュニアさん。「大勢の前に立って、緊張したし興奮しました。せいじに『2日後までにネタをつくってこい』と言われ、ネタなんてつくったことがなかったけれど、必死でつくって。やるかやらないか、その二択しかありませんでしたから」。その後のジュニアさんの活躍は、ご存じのとおりです。

みんな違うからこうすればいい、なんてアドバイスはできない

ジュニアさんは、せいじさんからの電話で〝救われた〞ように感じますが、しんどさを抱えている不登校の子どもにも、そんな糸口が見えるときが来るんでしょうか?

「そんなんわかりませんよ。自分だって、せいじからの電話がなければ、まだ引きこもっているかもしれないですし。自分の部屋でテレビを見ていたころ、教育評論家が『大人がもっと子どもに寄り添って』とか言ってましたが、ちゃんちゃらおかしかったですね」

「正解はない。みんな違うから『こうすればいい』なんてアドバイスは当てはまらない。結局は、子ども自身でなんとかするしかない」。

そうジュニアさんは言いつつ、「でも、人より感受性が豊かで、どっかの神経がむき出しだからそうなるわけですよね。そういう子は、いい意味でどこか人とは違うものや、今までに見たこともないようなものがつくれる可能性があるじゃないですか。親はその可能性に期待して待つしかないですよ」。

あのころの経験が、今の自分の「背骨」になっている

ジュニアさんが不登校だったころは、不登校という言葉がまだなく、〝登校拒否〞と呼ばれ、その数も今よりずっと少数でした。「振り返ってみれば、〝みんなと同じがいい〞という教育を親からも学校からも受けてきて、それに対する反発が自分のなかに積もっていましたね。でも、その反発心から生まれた〝俺は違う角度で行きたい〞という気持ちが、結果、芸人としての今の自分の背骨になっているのは、間違いないです」

参照:『サンキュ!』9月号「14歳の僕は、学校に行かないことにした」より。掲載している情報は19年7月現在のものです。

撮影/キッチンミノル スタイリスト/鬼塚美代子 構成/竹下美穂子 取材・文/宇野津暢子 編集/サンキュ!編集部

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