パラ陸上&スノーボード小須田潤太さんインタビュー「障害を持ったことで武器を持った自分」
2020/04/08
思いがけない交通事故の後、パラリンピックの山本篤選手と出会い、現在は陸上とスノーボードクロスを掛け持ちする小須田潤太さん。走り幅跳びで大舞台をめざす小野田さんが、これからの時代を担う未来の主役たちへメッセージを贈ります。
<小須田潤太さんプロフィール>
パラ陸上&スノーボード。1990年10月、所沢市生まれ。21歳のときに交通事故で右大腿部を切断。24歳で陸上を始め、27歳でスノーボードに挑戦。陸上では2019年7月のジャパンパラで100m・走り幅跳び2位に。スノボは2019年W杯で4位。東京・北京パラの有力候補となる。175cm、63kg。
障害を負ったことで「武器」を持った自分。偉大な先輩・山本篤さんに勝ちたい
さわやかな笑顔が印象的な小須田潤太選手は陸上とスノーボードクロスを掛け持ちするマルチアスリートです。
「最初は陸上だけでしたが、リオパラリンピック走り幅跳び銀メダリストで数多くの大会で成績を残している先輩・山本篤さんの平昌出場を見て『自分もスノボをやろう』と。ただ、冬にスノボに集中していると走りが遅くなる。今は東京最優先なので、陸上に専念して走り幅跳びの出場権を取りにいきます」と目を輝かせました。
両親と5人きょうだいの大家族で育ち、中学までサッカー少年だった小須田選手は高校卒業後、引っ越し業者で働いていました。人生が大きく変わったのは、2012年3月31日。トラックの運転中に居眠りし、電柱に激突。右大腿部切断という過酷な現実に直面したのです。
「『ああ、やっちゃった……』と思いましたね。病院のベッドで寝ている僕の前で弟が涙を流しているのを見て、『なんでおまえが泣くんだよ』と僕は涙をこらえました」。
翌2013年1月に職場に復帰。小須田選手は義足に違和感を覚え、松葉づえで生活していました。パラ競技にも積極的ではなかったものの、旧知の理学療法士の誘いで2015年8月のランニングクリニックに参加。そこで運命が変わる出会いがありました。
「篤さんが義足をつけた走りを一から教えてくれたんですが、ホントにカッコよかった。2カ月後に『埼玉へ行くから一緒に練習しよう』と連絡をもらってトラックに立ったとき、陸上をやるべきか迷っていた僕のなかで完全にスイッチが入った。『この人に勝ちたい』と本気で思いました」。
2016年9月には「もっと本格的に取り組みたい」と全面支援してくれる現在のオープンハウスに転職。2019年春には「大阪体育大を拠点にする篤さんと一緒に練習したい」と単身赴任に踏み切りました。すべては大舞台に立つため。家族と会社、そして偉大な師のサポートのもと、ベスト記録を延ばして、夢の大舞台へ挑みます。
「義足が人生の選択肢を広げてくれた。『最高の武器』を持てた自分は本当に幸運でしたね」。
どこまでも前向きな小須田選手の生きざまは多くの人々に勇気を与えるでしょう。
his history
兄と弟、妹2人の5人きょうだいの2番目。両親は全員平等が基本方針で、仲のよい家庭で育った。「黙って見守り、何不自由なく育ててくれた両親には感謝しています。離れて暮らす僕を応援してくれる妻も含め、家族に支えられています」と小須田選手は感謝する。
参照:『サンキュ!』2020年4月号「未来の主役たちへ」より。掲載している情報は2020年2月現在のものです。撮影/久富健太郎 構成・文/元川悦子 編集/サンキュ!編集部
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