35歳で乳がんに。その診断が、夢だった仕事につきたい私の背中を押した

2023/01/25

人生いつ終わるかは、わからない。だったら好きな仕事を思い切りやろう
もともとは安定志向で20歳から会社員を続け、その間、病気とは無縁だった晴香さん。「35歳という年齢で乳がんと診断され、『人生はいつ終わるかわからない』と気づかされました」。ならば悔いのないように、やりたいこと全部やり切った! と思える人生を送りたい。そこで、ずっと夢だったパーソナル・スタイリストの仕事に挑戦することを決め、闘病中に起業。2年たった今は「私ならできる」と信じ、オンラインサロンの開設やショッピングモールでのイベントなど活動の幅を広げています。


サンキュ!STYLEライター
パーソナル・スタイリスト
田部(たなべ)晴香さん
(愛知県 38歳)/上の写真右
会社員の夫(31歳)、長女(6歳)の3人家族。骨格やカラー診断によるファッション・メイクのアドバイス、ショッピング同行などを行う。インスタアカウントは@h__styling。「サンキュ!STYLE」ではライターネーム「スタイリストはるか」としてファッション系の記事を執筆中

【History】
2020年(35歳)
 市の検診で左胸に数ミリの嚢胞(のうほう)が見つかる/その半年後、乳がん(HER2陽性乳がん・ステージⅡ)と診断される/抗がん剤と分子標的薬の通院治療を開始/闘病中に起業
2021年(36歳) 放射線治療開始
2022年(37歳) 1年半にわたるがん治療が終了

始まりは「しこり」ではなく、乳腺炎みたいな「痛み」だった

市の検診後に乳腺クリニックを受診。そのときは数ミリの嚢胞(分泌物がたまった袋状のもの)だったため様子を見ることに。再び受診したのは半年後。嚢胞は2センチ大にまで大きくなっていて、乳がんと診断されました。「半年で急激に大きくなったと知り、がんの怖さにふるえました。がんの初期は痛みはないのが一般的なようですが、私の場合は乳腺炎のような痛みと発熱が続き、それが異変のサインに。左胸全体が硬くなっていましたが、しこりはありませんでした」

がんを告知されてから4日後の写真。コロナ感染拡大による緊急事態宣言中でもあった。右の娘ちゃんはこのとき4歳

スタイリストの仕事に没頭したのは、闘病100%になるのが怖かったから

「治療以外にやることがなかったときは、治っても再発するかも?などと考え、ずっとふさぎ込んでいました。でも仕事を始めたら働いている間は悩むことから解放されて。病気に心を支配されないよう仕事に打ち込みました」

治療を終えてから5年間は3カ月に1回、再発などがないかを検査しに病院へ。「毎回とても緊張しますが、定期的に診てもらえるのはむしろ安心!と考えるようにしています」

奨学金を返しながらの闘病。国や自治体の制度と保険が、お金の不安を軽くしてくれた

晴香さんが通っていたファッション専門学校の奨学金返済もある中、治療費を8万円も支払う月も。さらに、放射線治療で1カ月間通院したときは駐車料金やガソリン代が毎日かかり、予想以上の出費に。「でも国の高額療養費制度、市のウィッグ代助成金のほか、義父の勧めで入っていた生命保険に救われました。がんと診断されたときと抗がん剤治療中に合計約140万円の保険金を受け取れ、お金をすり減らさずに必要な治療をしっかり受けることができました」

【入院と治療以外で使ったお金】
● 薬代   月約3000円(×18カ月)
● ウィッグ代    3つで約3万円
● ケア帽子代    3つで約1万円
● 駐車料金  月約8000円(最大で)
ほか、体調不良時の家族の食事のデリバリー代やお総菜代など

闘病中はおしゃれに力をもらった。次は私が、おしゃれで人を笑顔にしたい

「抗がん剤で体調が絶不調だったときも、髪が抜けてしまった頭にウィッグをかぶりインスタにコーディネートを投稿。今、思えばおしゃれをすることで自分を保とうとしていたんですね。私はおしゃれで元気になれました。だから今は、がんと闘う女性がおしゃれを楽しんで明るい気持ちになれるような情報も発信しています」

抗がん剤治療で髪や眉が抜けてしまった乳がんサバイバーに向け、ヘアとメイクをオンラインレッスンする晴香さん

協力/日本生命保険相互会社

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