「良心の呵責」はどう使う? よく使う日本語の正しい使い方と間違った使い方を解説
2021/12/25
日常生活やビジネスで使う日本語、正しく使えているか不安なことってありませんか?よく調べないまま使っていると、間違った使い方をしているかもしれません。
多くの人が意味をよく理解せずに使っている言葉がけっこうあるので、注意が必要です。
意味を間違えやすい日本語の言葉や言い回しについて、国語科教員免許を持つライターのdanngoさんが解説します。
「良心の呵責」の意味とは?
「良心の呵責」という言葉、よく聞きますし使いますよね。
とはいえ正確に意味を理解しているかというと、むずかしいところです。
「良心」は「善悪を判断し、善を命じて悪をしりぞける意識」を表現する言葉です。「呵責」は「かしゃく」と読み、「せめさいなむこと」をあらわしています。
この二つを組み合わせて「良心の呵責」と言ったときは、「善悪を判断して善をうながす意識が、犯した悪を厳しくせめとがめる働き」といった意味になるのです。
自分でしてしまった悪いことを自分の良い心がとがめる、といったニュアンスです。
「良心の呵責」の正しい使い方、例文は?
「良心の呵責」という言葉は、道徳的に考えて良くないことをしたときに、それを自分でせめてしまう心の動きを表現するときに使います。
具体的には、こんなふうに使うといいでしょう。
・友人の厚意に甘えてきたのに恩返しせずに離れてしまい、良心の呵責に耐えられない。
・長年のつきあいがあった取引先を切り捨てることになり、良心の呵責を覚えてしまった。
ビジネスシーンで使うときは?
「良心の呵責」という言葉はむずかしい雰囲気のある言葉で、ビジネスにおいてさほど頻繁には使われないでしょう。
ただし、「法的には問題ないが倫理的に考えると問題がある行為について反省する」といったシーンで使うことは考えられます。
事業からの撤退やリストラなど、ビジネスにおいて非情な判断をせざるをえなかったときに、「良心の呵責の感情を禁じえない」などと表現できます。
間違いやすい「良心の呵責」の誤った使い方
「良心の呵責」と似た言葉に「罪悪感」や「自責の念」があります。
「自責の念」は「自分がした悪いことを自分でせめる気持ち」をあらわしていて、「良心の呵責」とほぼ同じ意味です。
ところが、「罪悪感」は単に「罪をおかした意識」をあらわし、それをせめる心の動きはふくまれていません。つまり、「罪悪感」という言葉を「良心の呵責」と言いかえると間違った文章になることもあるので気をつけてください。
・あの犯人はまだ反省していないが、自分のあやまちに対し良心の呵責を感じ始めたようだ。
・良心の呵責はあるけれども、悪口くらい言わないとやっていられないから仕方ないと思う。
こういった文章のように、悪いことをしているとは思うが反省はしない、というパターンでは「罪悪感」を使うのがいいでしょう。
みなさんは「良心の呵責」という言葉を正しく使えていましたか?
世代間で理解度に差があることも多いので、年の離れた人に対して使うときは特に気をつけましょう。
ただ、間違って使われているうちに言葉の意味が少しずつ変わっていく可能性もあります。
正しい意味を理解したうえで、相手が間違って使っているときは柔軟に受け入れるのが大人の対応かもしれませんね。
◆記事を書いたのは・・・ danngo
国語科教員免許と漢検準一級を持つ、アラフォーの 主婦。二児の母で、子育て関連の記事を書くのが得意です。本を読むのが大好きですが、一度読み始めると家事がおろそかになってしまうのが悩み。子どもの遊び相手をすると本気になりすぎて怒られ、家事は手抜きになる一方です。甘いもの、日本の古いものをこよなく愛しています。