夫婦関係の専門家が見た精神的DV「ガスライティング」の実態
2024/07/20
最近、にわかに見聞きするようになった言葉「ガスライティング」について、恋人・夫婦仲相談所の所長を務める三松真由美さんに、実例も含めて解説してもらいました。
DV相談の半数以上は精神的DVが原因
2023年7月に内閣府男女共同参画局がまとめた「女性に対する暴力の現状と課題」というレポート(※)によれば、配偶者暴力相談支援センターおよびDV相談プラスに寄せられた2022年度のDV相談件数の合計は16万9,981件(暫定値)に上ります。
また、同レポートには相談内容の内訳(複数回答)もあり、詳細は以下のとおりです。
身体的DVが28.6%
精神的DVが64.8%
性的DVが8.3%
経済的DVが17.9%
社会的DVが5.9%
なんと精神的DVが圧倒的多数を占めております。
一般的に精神的DVの中身としては……
・大きな声で怒鳴る/ののしる
・命令口調で話をする
・暴言をメールやメッセージで頻繁に送りつける
・無言電話を何十回もかける
・延々と説教をする
・人前でバカにしたり蔑んだりする
・常に行動を監視する
・長時間無視する
・子どもなど周囲の人に危害を加えるような脅しをかける
・外出や行動を制限する
・相手の大切なものを壊す/捨てる
・なぐるそぶりなどで脅かす
・悪口や知られたくない秘密をSNSなどでばらまく
など非常に広範囲です。夫婦間の問題でよく耳にする「モラハラ」も精神的DVの一種です。
また、最近にわかに話題になっている精神的DVに「ガスライティング」というものがあります。
辞書の出版で知られるアメリカの出版会社メリアム・ウェブスターが、2022年の「今年の言葉」で選出するなど、世界的に広く使われているものですが、一体どんな行為を指すのかご存知でしょうか?
ガスライティングの言葉の意味や由来
ガスライティングとは、ささいな嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し続けたりすることで、被害者が自身の記憶や知覚、正気などを疑うよう仕向ける心理的虐待の手法です。
この言葉は、1944年のアメリカ映画『ガス燈』に由来しています。この作品のなかでは、悪意を持つ夫が屋根裏で物音を立てたり、ガス燈の明かりを暗くしたりなどで妻の不安を掻き立てていきます。そして妻がそのような家の中の異変を指摘しても、夫は「妻の勘違い」だと取り合いません。
そのほかにも彼女は夫から物忘れや身に覚えのない窃盗癖を指摘されるようになり、次第に自らの正気を疑うようになっていきます。
妻が精神的に追い詰められていく様子を描いた心理サスペンスの名作で、ヒロイン役のイングリッド・バーグマンがアカデミー主演女優賞を受賞した作品としても有名です。
ガスライティングの手口とは?
最初、加害者は優しさや思いやり、または相手を上回る知識や経験などで被害者の信頼を勝ち取り、自分に依存するような関係性を築くところから始めます。
そのような関係ができたところで、微妙な否定や疑問を徐々に投げかけることで、被害者の自信を揺るがし始めます。具体的には以下のような手口で相手をじわじわと精神的に追い詰めていくと言われています。
・露骨なウソ
・過去の言動の否定(実際は言ったのに「言っていない」と否定するなど)
・被害者に落ち度があったかのように振舞う
・周囲の人が被害者に疑惑や反感を持つよう立ち回る
・ものを勝手に移動させたり、隠したりして被害者を混乱させる
・被害者が加害者を疑ったり、関与を指摘したりすると「知らない」ととぼけたり、「被害妄想だ」など被害者を責めたりする
一見すると「こんなことで人が追いつめられるのか?」と思うかもしれませんが、家庭内という密室で行われ、しかも信頼しているパートナーからチクチクと行為を繰り返されることで、次第に自己肯定感が下がり、自分に自信がなくなっていきます。
さらに、加害者は被害者の感情や反応を誇大化したり、誤解していると責め続けたりするため、被害者は自分の感情や反応が間違っていると思い込み、自分を抑制し始めていきます。
ドラマでも暴力を受けた女性に「別れなさい」と周囲が注意をしても「でも、あのひとは私がいないとだめだから」「私が悪いの」と戻ってしまうシーンをたまに見かけます。
最終的には、被害者は自分の感情や認識を信じられなくなり、加害者の言動に完全に依存するようになってしまいます。
こうなってしまうと、被害者は自分が虐待を受けていることに気づけないだけでなく、周囲の人々からの助けをも拒否するようになってしまうのです。
このように相手の精神的な自立を奪うのが、ガスライティングの恐ろしいところです。
【事例紹介】若年性アルツハイマーを疑われ仕事も失い……
実際に私がお話をうかがった事例では以下のようなケースがありました。
共働きで仕事も家庭もがんばっていたAさん(40代)。大学教授で10歳ほど年上の夫はいつもAさんを温かく見守り、ときには父親か先生のようにAさんにいろいろなことを教えてくれる頼れる存在でした。
そんなAさんはあるときから忘れ物をよくするようになります。持ってきたつもりの傘がなかったり、家の鍵がなかったり。でも家に帰るとそれらはなぜか机の上に残っていることが多く、いっしょに出かけた夫からはあきれられたり、がっかりされたりといったことが続くようになりました。
そんなとき、義母の介護施設の入所手続きに夫と出かけた際、必要な書類一式を忘れ、手続きができない事件が発生。
間違いなく朝カバンに入れた確信があったAさんは、帰宅後、書類がテーブルの上に残っていたのを見つけます。思わず「あなたが何かのタイミングで書類をカバンから取り出したんじゃないの?」と夫に問いかけると、夫は「自分のミスを棚に上げ、俺を疑うのか」と激怒。
それ以降、2人で話した内容に関して「言った/言わない」で論争になったり、「もう忘れたのか」などと記憶違いを指摘されたりすることが増えていき、Aさんはだんだん自分の記憶力に自信がなくなっていきます。
さらに夫は周囲の親戚に対して「Aは物忘れがひどいくせに、自分の過ちを夫のせいにするので心配だ」「若年性アルツハイマーのような症状がみられるが、自分ががんばって支えている」などとAさんのイメージダウンになるようなことを吹き込み、その結果Aさんは親戚から孤立してしまいます。
精神的に不安定になったAさんは仕事で大きなミスを犯してしまいます。顧客の重要な書類を家に持ち帰った際になくしてしまったのです(後に明らかになりますが、これは夫がこっそり廃棄していたのです)。
Aさんが「移動の途中で紛失したのかも」と、途中の立ち寄り先や駅で捜索を依頼している間に、夫はAさんには内緒でAさんの上司に電話をかけます。そしてAさんが忘れ物や記憶違いを頻発していて、若年性アルツハイマーの恐れがあること、メンタルを病んでいて、親戚からも孤立していることなどを告げ口してしまいます。
その際に夫は、決して妻を貶めるのではなく「妻は家庭でも仕事でもがんばっているんです。でも病気なんです。だから自分が彼女のミスをカバーし、優しく支えているのです。どうか彼女を責めないでください」と涙ながらに訴え、上司もAさんの夫にすっかり騙されてしまいます。
Aさんはその後、会社でポストを外されて仕事への自信も周囲からの信頼もなくし、社内で孤立した結果、仕事をやめてしまいました。
今やAさんは親戚からも会社からもつながりを絶たれ、夫が吹き込んだ「若年性アルツハイマー」の疑惑におびえ、夫しか頼れずに、彼の完全な支配下に置かれています。
なぜ夫はこんな行動を取るのか。なんの得があるのか。それは本人しかわかりません。
妻を独り占めしておきたいのかもしれない。妻にずっと家にいてほしい歪んだ愛情かもしれない。ガスライティングの理由は計り知れません……。
被害に気づくために、知っておきたい要注意症状
ガスライティングを受けている被害者は、なかなか正確に自分の状態を把握することがむずかしいですが、もし、自分に以下のような症状がある時は、パートナーからの精神的DVを疑ってみてもよいと思います。
・自分の感情や反応がいつも否定される
・自分の記憶や認識に自信がない
・自分には何もできないと感じ、絶望感にさいなまれる
・いつも自分が間違っている気がする
・いつも自分が謝らなければいけないような気がする
・自分が神経質すぎるのではないかと感じる
このような傾向が見られる場合、自分だけで判断せずに次のような機関に相談してください。
■DV相談プラス
内閣府の男女共同参画局が運営するDVの相談窓口です。専門の相談員に電話やメール、チャットで365日相談することができ、最寄りの相談機関や支援について案内してもらうことも可能です。
■配偶者暴力相談支援センター
配偶者から精神的DVを受けている、と感じられるときにはこちらを。全国に設置されている公的施設で、DV被害を受けた女性の保護や支援を行っています。カウンセリングも実施しているので、相談だけでも可能です。
ガスライティングをはじめとする精神的DVは密室で繰り返し行われ、気がついたときには被害を受けていることすらも認識できなくなってしまいます。
ちょっとでもパートナーの言動に違和感を持ったときは、「1人で抱え込まずに専門家に相談してみる」という勇気を持つことが大切です。
◆監修・執筆/三松 真由美
会員数1万3,000名を超えるコミュニティサイト「恋人・夫婦仲相談所」所長として、テレビ、ラジオ、新聞、Webなど多数のメディアに出演、執筆。夫婦仲の改善方法や、セックスレス問題などに関する情報を発信している。『堂々再婚』『モンスターワイフ』など著書多数。