体調が変化したり、親が少しずつ年老いてきたり、仕事で立ち止まったり……、50代は何かと大きな節目の連続。54歳で3人住まい、夫婦つかず離れずの距離感で暮らす、軽やかな日々をご紹介します。
<教えてくれた人>
万波(まんなみ)和枝さん
岡山在住 age54歳
夫(56歳)、長女(25歳)と暮らす。長男(27歳)は一人暮らし。今は専業主婦。1時間ほどの散歩が日課。「ぐんぐん前に進むうちに心も前向きに」。Instagram @cata_coto_で丁寧な団地暮らしの日々を発信。

- 子どもが独立したあとは、夫婦つかず離れず軽やかに暮らす
- 【持ち物のこと】老後に向かって、シンプルに。本当に好きな物だけ持つ暮らし
- 好きな素材は木・鉄・ガラス。プラスチックの物は扱いがラクでも家に入れない
- 着たい服がようやく定まってきた。同じ形の生地違いを一年中履き回す
子どもが独立したあとは、夫婦つかず離れず軽やかに暮らす
万波さんは築50年超の賃貸団地暮らし。「古いぶんすき間風がすごかったりと難はあるけれど、私はこの昭和な佇まいが好き。暮らしやすくなるようあれこれ工夫して楽しんでいます」。
部屋には愛する古道具がそこここに。でも持ち物はそれほど多くありません。「転勤族で引っ越しが多く、50代になって好みがよりはっきりしてきたせいかな。これからもむやみに増やさず、今ある物を大事にして一緒に年を重ねたいです」。
56歳の夫はあと3年で定年退職。「家族であってもずっと一緒はしんどいですよね。退職後もほどよい距離感のある、風通しのいい夫婦でいたいから、休日は夫を『サウナに行って来たら?』などと送り出して、仕事以外の居場所や楽しみを見つけてくれるよう促しています」。
万波さんが出かける日、前は家族の食事を必ず用意したけれど、子どもが自立した今はそれも卒業しました。「私がしなきゃと頑張りすぎるのはもうおしまい。両親が突然他界して、人生いつ終わるかわからないと思い知らされたから、自分の心に従って今を大事に生きたいです」。
●Life story
1991年 短大卒業後、20歳で保育士に。
1995年 24歳で結婚し、専業主婦に。夫の転勤が多く、結婚後12回引っ越し。
1998年 27歳で長男出産
2001年 29歳で長女出産
2008年 37歳で雑貨店でパートを始め、接客やネットショップの運営、Instagramでの発信を担当。10年間続ける。
2018年 47歳のときに母のがんがわかり、介護のため退職。自分のInstagramを始めて暮らしの様子を発信。息子が就職して独立。
2020年 49歳ごろから体調を崩すことが増える。特に頭にできた帯状疱疹(ほうしん)に悩まされる。娘が就職。
2021年 50歳のときに母が急逝。パーキンソン病を患う父を通いで介護。
2022年 51歳のときに父が介護施設に入居。利用料の足しに花屋でパートを始める。父が他界し、再び専業主婦に。
【持ち物のこと】老後に向かって、シンプルに。本当に好きな物だけ持つ暮らし
実家の両親の物の多さが反面教師。
万波さんが50代になってから相次いで亡くなった両親は捨てない人たちで、田舎の家にはおびただしい物がある。テレビ通販が好きだったため家電や健康グッズもたくさん!「実家に何度も通って片づけているものの、押し入れや納戸から物がどんどん出てきて遠い道のり。私も物が好きだけど、シンプルに暮らしたいし子どもたちに負担をかけたくないから、物を買う前はよ~く考えます。たとえどんなに安い物でもなんとなく買うことはありません。
好きな素材は木・鉄・ガラス。プラスチックの物は扱いがラクでも家に入れない
プラスチック製品は安くて気楽に使えるけれど、ほとんど買わない。「物を使い捨てるのは苦手。木や鉄、ガラスの物は、見るのも使うのも手入れをするのも心が満たされます」。
着たい服がようやく定まってきた。同じ形の生地違いを一年中履き回す
40代までは似合う服がわからず迷走。「50代になってからは人からどう見えるかはさほど大事ではなくなったこともあり、『私はこれでいく』と決めて堂々と同じ服を着ています」。
家具は増やさずに、今ある物と一生付き合う
「死」ははるか遠いものではないと思うようになって「一生もの」という言葉がリアルに響くように。「大好きな物は全て一生もの。古くなって味わいが増していくのも楽しみ」。
両親が亡くなってから、毎朝のあいさつがルーティンに
「目に見えないところにいる両親とつながっていたくて、和室の長押に小さな神棚をつくりました」。毎朝水を替えて手を合わせ、家族や友達だけでなく世の中の無事も祈っている。
参照:『サンキュ!』2025年4月号「シンプルで満ち足りた“50代の暮らし”」より。掲載している情報は2025年2月現在のものです。撮影/林ひろし 取材・文/神坐陽子 編集/サンキュ!編集部